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玉島保存地区


玉島保存地区

 玉島は各地に残っている地名(柏島・乙島・七島等)からもわかるように,かつては瀬戸内海に点在する小さな島々でした。江戸時代になると松山藩により大々的な新田開発が行われ,寛文11年(1671)には新町に堤防が築かれ,阿賀崎新田が開発されると玉島の景観が一変しました。この堤防の上には高梁川流域の港問屋が移住し,海に臨む南面には蔵が,北面には店が軒を連ねました。また周辺地区にも多くの商人たちなどが移り住むようになりました。
 延宝2年(1674)には,不用になった堤防の内側に水路を堀り,高梁川の流れを導き,新田のための灌漑用水と運河の役割をもつ高瀬通しが完成しました。こうして北前船と高瀬舟の水運により,玉島は元禄時代には港町として最盛期を迎えました。
 その後,鉄道が港に遠く設けられたため,港町としての発展に終止符を打つこととなりましたが,今でも虫籠窓や格子を備えた本瓦葺の商家やなまこ壁のある土蔵が数多く残されており,歴史的な景観をとどめています。
 この町並みは,平成7年に岡山県の町並み保存地区に指定されています。