歴史

井上 桂園INOUE KEIEN

明治36年、岡山県吉備郡薗村(現真備町市場)生まれ。
薗小学校に入学した6歳から習字を学び、7歳のとき「中国民報社」(山陽新聞社の前身)の書初め紙上展で見事入選。岡山県立矢掛中学校(現岡山県立矢掛高等学校)在学中、日下部鳴鶴先生の書に感動し、号を「桂園」と称した。「桂」は古代ギリシャの月桂冠、「園」は出身地の薗村にちなんで名付けられたといわれている。その後、日下部鳴鶴門下の丹羽海鶴先生の門に入り、岡山師範学校入学の後は大原桂南先生の教えを受け、在学中に史上最年少で文検習字科に合格、以来中央の各種書道展で次々と最高賞を獲得するなど20歳代で中央書壇における若き実力者として確固たる地位を築いた。昭和24年から広島大学教授、昭和41年からは安田女子大学教授として数多くの人材を育て、日本書道教育研究会顧問、全国大学書道学会会長、日本書道教育学会名誉会長などの要職に就く。平成9年1月に94歳で永眠。

白神源次郎

白神源次郎は,日清戦争に従軍していました。
 明治27年7月7日,朝鮮成歓の役,安城の渡しの激戦中,敵弾が胸部を貫きましたが,なお屈せず進軍ラッパを吹き鳴らし続けました。 その余韻が消えると,ラッパを口にしたままで命が絶えました。享年27歳。
 当時の新聞・雑誌には源次郎の勇壮な戦死を讃えた記事が,盛んに報道されました。当時の検定教科書にも登場しました。軍歌には「姓は白神で名は源次郎」と歌われ,国内はもとより広く海外にも伝えられました。
 白神源次郎の墓は,この近くの出生地,字(あざ)堅盤谷(かきわだに)の丘の墓地にあります。

金田一耕助KINDAICHI KOUSUKE

◎名探偵・金田一耕助はここで生まれ育った
 日本の名探偵といえばまず、金田一耕助が思い浮かびます。実はこの金田一耕助、倉敷市真備町の生まれだったのです。
 知る人ぞ知る推理小説界の巨星・横溝正史(1902~1981年)の両親は岡山の出身でした。それが縁となって、横溝正史は太平洋戦争終戦前後の約3年半の間、真備町の岡田地区で疎開生活を送りました。
 戦争が終わって自由な創作が許される時代になると、横溝は疎開宅で『本陣殺人事件』を執筆し、1946年に月刊誌で発表しました。この探偵小説は疎開先一帯を舞台にし、密室殺人ミステリーとして高い評価をうけました。同時に、金田一耕助が初めて世に登場した記念碑的作品となったのです。以降、横溝は金田一耕助を事件解決役にした小説を次々と書いていきました。

金田一耕助書斎

 横溝は、岡山に古くから伝わる風習やしきたりからヒントを得て、多くの傑作を送り出しています。『獄門島』『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』なども岡山を舞台にしていて、金田一耕助が難事件に挑む名作です。
 名探偵の代名詞である金田一耕助が生まれ、数々の作品が誕生した真備町の横溝正史疎開宅は、現在も往時のまま残り、一般公開されています。

横溝疎開宅