新町

新町

若屋 女流歌人安原玉樹生家 ~新町~

女流歌人安原玉樹生家その1(画像1)

(画像2) (画像3)

若屋
江戸時代中期(1800年頃)の建物で穀物等を扱う問屋の店舗として使用されていた。新町では最古の建物。当時の佇まいがよく保存されている。(画像1)
史蹟 女流歌人 安原玉樹 生家

(画像2)
夏むしのほかげほのかに見てしより
いとどおもひやもえわたりなむさびしさは
いづこも同じ秋風のわきで身に沁むあまの家じま 玉樹
(画像3)
玉島文化協会・玉島観光文化振興会


設置物

石碑・木製札

設置年月日

石碑 平成24年1月8日
木製札 平成4年8月

所在

玉島1丁目15ー6

設置者

石碑  玉島文化協会・玉島文化観光振興会
木製札 玉島ルネッサンス振興会

大国屋 川田甕江生家 ~新町~

大国屋川田甕江生家その1(画像1)

(画像2) (画像3)

大国屋 川田甕江生家

江戸時代中期(1800年頃)の建物で綿回船問屋の店舗として使用されていました

当家は川田甕江の生家であり氏は和歌を小野務に学び 儒学を鎌田玄渓に学ぶ

板倉勝静 将軍徳川慶喜に従い江戸に至る

明治5年三島中州と共に「二松学舎」を起こした

また玉島事変に熊田恰の自刃に際し玉島を戦火から守り部下の助命嘆願書を備前藩に提出する草案を作った

維新後、東宮待講貴族院勅選となり東大教授宮中顧問官に任ぜられた

 平成4年8月 新町ルネッサンス振興会

 

設置物

石碑
木製札

設置年月

石碑 昭和44年12月
木製札 平成4年8月

所在

玉島中央町1丁目15ー6(安原倉庫)

設置者

石碑 不明
木製札 新町ルネッサンス振興会

西綿屋 ~新町~

西綿屋その1
西綿屋

当家は江戸時代の中期(1800年頃)に回船問屋として活躍され備中綿を主に扱い当時の建物として代表的なものである。

 新町ルネッサンス振興会

 

設置物

木製札

設置年月日

不明

所在

玉島1丁目21ー7

設置者

新町ルネッサンス振興会

米屋 ~新町~

米屋その1
回船問屋(西浜天領) 米屋安兵衛
明和元年(1764)の建物で徳川時代天領であった玉島阿賀崎新田村は年貢が優遇されていた為、千石船の交易で大いに繁盛した。
大正年間、星島銀行、加島銀行玉島支店が設置された時、表は石造りの柱となり厳めしい造りになっている。
 参考文献 玉島町並み保存調査報告書より抜粋

 平成4年8月
 新町ルネッサンス振興会・玉島文化協会・玉島観光文化振興会

設置物

木製札

設置年月

平成4年8月

所在

玉島1丁目21ー8

設置者

新町ルネッサンス振興会・玉島文化協会・玉島文化観光振興会

向三宅邸 ~新町~

向三宅邸その1

向三宅邸

天保3年(1832)建造の家屋で米屋の別宅として建てられた。
それまでこの町筋の海側には全く民家は無く200棟を超える土蔵群が軒を連ねていた。

 平成4年8月 新町ルネッサンス振興会

 

設置物

木製札

設置年月

平成4年8月

所在

玉島中央1丁目22ー41

設置者

新町ルネッサンス振興会

西国屋 ~新町~

西国屋その1
西国屋

※新町問屋街
寛文10年(1670)松山藩主 水谷候によって、阿賀崎新田新町堤防の汐止工事が完了し、阿賀崎村が独立して堤防上に徐々に問屋が殖え港町が形成され天領になった。元禄の最盛期には、東綿屋・大国屋・西綿屋・米屋・西国屋・関屋など43軒の問屋が軒を並べ甕(もたえ)の港が大いに繁昌した。問屋が仲買人を通して取引した主な商品は、北前船による北海道からの鰊粕ほしか、これを肥料に必要とした産地からの備中綿であった。
新町問屋街の東西には総門があり海側には、船着場と土蔵の倉庫群が建ち、夜は門を閉じて夜警が廻り町を防護した。ここに建つ元西国屋の土蔵は内側がなまこ壁で、北前船で賑わった当時の繁栄を偲ぶよしがとして永く保存さるべき数少ない歴史的建造物である。港は明治になって、これまでの賑わいを失ったが豊かな文化的遺産を残した。この蔵は現所有者 中野開一氏によって蔵の中コンサートなど有意義な文化活動に開放されている。

 平成3年11月 玉島文化協会

設置物

案内板

設置年月

平成3年11月

所在

玉島中央1丁目22ー36

設置者

玉島文化協会

岡山県税関発祥の地 ~新町~

岡山県税関発祥の地その1
岡山県税関発祥の地

【左側】玉島税関跡

設置物

石碑

設置年月日

平成16年1月11日

所在

玉島1丁目24ー1

設置者

玉島文化協会・玉島観光ガイド協会

お玉さん

お玉さんの祠その1
お玉さんの祠(伝説)

備中松山藩主水谷候が玉島の干拓を行っていた時、潮の流れが速いため水門の工事が失敗を繰り返し困難を極めていました。
村人達はこの原因を海神のたたりと考え誰か自分の身を犠牲にして、怒りを鎮める者がいないか探したところ、自ら名乗り出たのが18歳のお玉さんでした。そしてその甲斐あって、無事水門が完成したという言い伝えが残っています。
この祠は、お玉さんの魂を鎮めるために建てられました。

設置物

案内板

設置年月日

平成17年1月9日

所在

倉敷市玉島中央1丁目25ー6(新昭和橋東詰め)

設置者

玉島文化協会・玉島観光ガイド協会