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さらに、昭和10年代には日本画の巨匠・冨田渓仙の作風に共鳴した時期を経て、戦後には装飾性やユーモアに富んだ独自の表現に到達し、風景画に一境地を切開きました。1952(昭和27)年の「幻想の明神礁」や1954(昭和29)年の「森の唄」には、江戸時代の円山応挙以来脈々と受け継がれてきた京都派の写生的なこだわりはありません。
「森の唄」1954年
遙邨が日本芸術院賞を受賞したのは、1960(昭和35)年64歳のときでしたが、それは決して早い受賞ではありませんでした。遙邨芸術のトレードマークとも言える狐や狸の描写は、このころから頻繁に画面に表われるようになります。小動物に自らを託したこれらの作品に共通する親近感やぬくもりは、人間に強い関心を抱き続けた遙邨の人柄に一因があります。
「閑」1971年