せんにんづか
千人塚
種別: |
市指定・史跡 |
所在地: |
倉敷市広江2丁目 |
所有・管理者: |
大字北畝・大字東塚 |
指定年月日: |
平成23年7月22日 |
明治17年(1884)8月25日、岡山県南部を直撃した台風は、夜になって吹き戻しの風となり、水島灘(みずしまなだ)から打ち寄せる怒涛(どとう)と高潮により福田新田の干拓堤防が各所で決壊しました。
『岡山県水害史』によれば、当時の福田新田五か村(北畝・中畝・東塚・南畝・松江)の被害は、破壊流失した家屋742戸、荒廃した田畑705ha、犠牲者は536人にのぼりました。この犠牲者のうち身元不明とされた256遺体は、無縁仏としてこの地に埋葬され「千人塚」と呼ばれるようになりました。その1年後には、犠牲者の死を悼み、冥福を祈るため、全国から寄せられた義捐金(ぎえんきん)を元に「合葬之碑」が建てられ、現状のように整備されました。
当時の被災者に対する救済は、被災直後から行われた周辺住民による救出作業や炊き出しなどのほか、岡山県では備荒儲蓄法(びこうちょちくほう)に基づく支援を行うとともに、被災者には義捐金をもとに救助金が配られました。また、のちの決壊堤防の復旧作業には多くの被災者が雇われ、その現金収入が生活支援にも役立ったといわれています。
私たちは、比較的自然災害の少ないとされる岡山県において、この地でおこった大惨事とその復興にかけた努力を永く記憶にとどめるともに、後世に引き継いでいかなければなりません。
【現地周辺の地図】