資料1 文化九年 申ノ正月吉日 草木日雨風万覚帳

資料1 文化九年 申ノ正月吉日 草木日雨風万覚帳

資料1 「文化九年 申ノ正月吉日 草木日雨風万覚帳 小川 西原忠平」(倉敷市所蔵西原家文書1)

資料1-2

 

資料1-1

(表紙)

翻刻

△七月   右同断

塩五斗二十銭

五日晩、東風ざぶり夜中大々風南風、児島近辺塩浜皆キレ、呼松前
大島新田板関・梅水門三四ヶ所キレ、内南畝・北畝・中畝・東塚・松江五ヶ村
ニ八九分斗り家タヲレ、常ノ塩満ヨリ七八尺斗り高ミチ、死亡
人員戸籍之帳上六百三十五人、巡査調之分六百七拾余人、
人員定限無之、処々ニ死亡人員有之、△
△六日夕、大ざぶり、八日ぼろ雨,十日夜ざぶり、
大島ヱ五リ四方近辺之人死亡ノ人員
調之スケ役、(後略)
※本文中後ろより4行分の下部に相場の注記あるが省略。

読み下し

△七月   右同断

塩五斗二十銭

五日晩,東風ざぶり夜中大々風南風,児島近辺塩浜みな切れ,呼松(よびまつ)前大島新田板関・梅水門三四カ所切れ,うち南畝(みなみせ)・北畝(きたせ)・中畝(なかせ)・東塚(ひがしづか)・松江(まつえ)五カ村に八九分ばかり家たおれ,常の塩満より七八尺ばかり高く満ち,死亡人員戸籍の帳上六百三十五人,巡査調べの分六百七十余人,人員定限これなし。ところどころに死亡人員これあり。
△六日夕,大ざぶり,八日ぼろ雨,十日夜ざぶり,大島へ五里四方近辺の人死亡の人員調の助役,(後略)
※相場注記省略。

意訳

△7月  米・麦・小麦・種の相場は先月と同じ,塩は5斗につき20銭
7月5日の晩,東風が吹き「ざぶり」(局地的なにわか雨)が降り,夜中になって大々的に南風が吹いた。大風の影響で児島近辺の塩浜の堤防はみな決壊し,呼松村の前面に位置する大島新田(福田新田のこと)の板敷水門(読みは「いたじき」。原文表記は当て字の「板関」)・生姫水門(読みは「うめ」または「うぶめ」。原文表記は当て字の「梅」)など3~4カ所で堤防が決壊し,その内側の南畝・北畝・中畝・東塚・松江5カ村の8~9割ほどの家屋が倒れ,いつもの満潮時より7~8尺(約2.1メートル~2.4メートル)ほど潮が高く満ちていた。死亡者数は戸籍簿の帳面上で数えると635人,巡査が調べた結果によると670余人で,その数の上限がはっきりしないが,あちこちに死亡者がみつかった。
△7月6日の夕方は「大ざぶり」(局地的な激しいにわか雨)があり,8日は「ぼろ雨」(激しい雨)が降り,10日の夜も「ざぶり」が降った。大島新田から5里(約20キロメートル)四方の範囲にいる近辺の住民が死亡者数調査の助役を務めた。
※相場注記省略