水災ハ人事ヲ尽サザルニ生ズル論(『山陽新報』明治13年7月9日版)

水災ハ人事ヲ尽サザルニ生ズル論(『山陽新報』明治13年7月9日版)

資料2 「水災ハ人事ヲ尽サザルニ生ズル論」(『山陽新報』明治13年7月9日)

資料2

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水災ハ人事ヲ尽サヽルニ生ズル論

人生莫作婦人身,百年苦楽由他人,トハ是レ白
楽天ガ詠ゼシ大行路中ノ名句ナリ,我儕頃日梅雨ノ
為ニ悩マサレ,独リ自ラ幽窓ノ下ニ起臥シ,薬爐吟硯
以テ鬱ヲ遣ル,既ニ連旬仲夏ノ末ニ及ビ,連朝雨歇マ
ズ,朝ヨリ夕ニ至リ夜ヨリ晨ニ達ス,琴筑檐ヲ繞リテ
天色常ニ暗シ,遂ニ七月一日ニ於テ惨状ヲ備中ノ中
央賀陽下道二郡ニ演シ,余波旭江両岸ノ村落ニ及ブ
ヲ致セリ,是レ実ニ輓近ノ一大事ニシテ我儕ノ酸鼻
スルニ堪ヘザルモノナリ,又我儕ヲシテ白氏ニ倣ヒ,
人生莫作小民身,百年究通由他人,ト歎セシム
ルニ至レリ,豈ニ痛哭以テ之ヲ救済スルノ道ヲ講ス
ルノ時ニ非ラズヤ
嗚呼彼小民果シテ何ノ罪アル,生ヲ此土ニ寄セシヨ
リ夙夜事業ニ是レ従ヒ,敢テ怠ルコトアルコトナシ,月ヲ
観テ出デ星ヲ戴テ帰ル,風ニ雨ニ其労苦ヲ厭ハズ,其
酸辛ヲ辞セズ,以テ僅ニ其父母ヲ養ヒ,其妻子ヲ育ス
ルモノ蓋シ十ノ八九ナリ,不幸ニシテ水火ノ災ニ逢
遭スルヤ,依ルニ人ナク托スルニ道ナシ,仁者ノ之ヲ
救ヒ慈人ノ之ヲ済フニ非ザルヨリハ,更ニ為スコト能
ハザルノ徒ナリ,誰レカ其惨状ヲ目撃シテ惻隠ノ情
ヲ発セザルモノアランヤ,嗚呼泣テ之ヲ天ニ訴ヘン
カ,蒼々タル其天遼遠ニシテ達ス可ラズ,之ヲ天ノ作
セル蘗ト謂ハン歟,天神ハ仁ナリ,空ク人ヲシテ究途
ニ泣カシムルモノニ非ラズ,嗚呼泣テ之ヲ地ニ訴ヘ
ンカ,渺々タル其地曠漠トシテ達ス可ラズ,之ヲ地ノ
作セル妖ト謂ハン歟,地祇ハ慈ナリ,空ク民ヲシテ悲
境ニ泣カシムルモノニ非ラズ,然レバ則チ之ヲ人事
ノ尽サヽルニ帰セザルヲ得ズ,苟クモ人事ヲ尽シテ
天地ノ命ニ背クコトアラバ,是レ時運ノ極スル所ロ,誰
レカ亦怨ムルモノアランヤ
人生誰レカ生ヲ好デ死ヲ悪マザラン,人生誰レカ危
ヲ捨テ安ヲ取ラザラン,是レ天ノ賦与スル性情ニシ
テ皆同シ,又貴賤上下ノ殊アラズ,又貧富智愚ノ異ア
ラザルナリ,固ト大小強弱ノ別ナシ,義ヲ守リテ利ヲ
棄ルハ道ノ為メナリ,善ヲ助ケテ悪ヲ斥ルハ受ノ為
メナリ,政府ヲ設ケ之レカ政度法令ニ服事スルハ,唯
当ニ寡少保護スル能ハザル者ヲ将リ,衆多保護スル
コトヲ得ル者ニ托スニアリ,然リト雖トモ人事ノ変ハ法
律之ヲ外ニ制シ,道義之ヲ内ニ治ム,法律制シ難キコト
アレバ道義ノ力ヲ藉リ,以テ之ヲ治ム,道義治メ難キ
コトアレバ法律ノ力ニ依リ,以テ之ヲ制ス,自然ノ変ハ
自然ノ勢ニ発ス,預シメ期ス可ラザルナリ,之ニ備フ
ルノ方法,固ヨリ敵国外患ニ向テ海陸二軍ヲ整フル
ガ如クセザルヲ得ズ,自然ノ変ヲ防禦スルノ良策,唯
人民ヲシテ其所ヲ得,毫モ咨嗟怨憤ノ声ヲ発セザラ
シムルニ在ルノミ,夫ノ身都城ニ住シ歌吹海ニ吟嘯
スル紳士其人ハ夢ニ民間ノ実況ヲ観ズ,春耕秋獲自
然ニ成ル者ト確信シ,更ニ櫛風沐雨ノ辛苦ヲ知ラザ
ルナリ,於是乎水火ノ災アルモ之ヲ小事ト看過シ,究
ヲ済ヒ貧ヲ恤ムノ情ヲ発スルコト少ナシ,蓋シ惻隠ノ
情ナキニ非ズ,之ヲ目撃セザルノ致ス所ナリ,北条氏
政ヲシテ武田晴信ノ笑フ所トナラシメシハ,氏政其
人ノ罪ニ非ズ,氏政ノ地位之ヲ知ルコト能ハザラシム
ルノ罪ナリ,故ニ中央政府ノ感覚ハ地方政府ノ感覚
ニ及バズ,地方政府ノ感覚亦郡村ノ感覚ニ及バズ,是
レ人民ノ施政上ニ向テ歓心ヲ呈スルニ薄スキ情勢
ナリ,之ヲ行フニ難シト雖トモ之ヲ難ニ置ヒテ顧ミザ
ルハ我儕ノ取ラザル所ナリ,我儕如何ゾ官吏ノ尽力
人民ヲシテ安処セシメンコトヲ冀望スルニ切ナラザ
ルヲ得ンヤ
蓋シ本年ノ洪水タル,実ニ輓近ノ大事ナリ,為ニ貴重
ノ人命ヲ損害シ,為ニ貴重ノ家屋ヲ流失シ,為ニ貴重
ノ物品ヲ棄損セシハ,決シテ小少ニ非ズ,物品ヤ購フ
可シ,家屋ヤ営ム可シ,独リ人命ハ得テ之ヲ恢復スル
コト能ハザルナリ,啻ニ之レノミニ局セズ,堤ヤ破レ橋
ヤ落チ梁ヤ沈ム,其金円ヲ費消セシ,亦決シテ小少ニ非ズ,是レ実
ニ避ク可ラザルノ災ニ似タリ,然レトモ我儕ハ之レヲ自然ノ災ニ帰
セズシテ,之ヲ人事ノ尽サザルニ帰セント欲スルナリ,何ゾヤ若
シ平時他日不慮ノ災ヲ慮リ,河ヲ通シ堤ヲ高フシ,浅キハ之ヲ浚
鑿シテ深カラシメ,脆キハ修繕シテ堅カラシメバ,豈ニ輓近ノ惨
状ヲ見ンヤ,梅天ノ霖雨ハ独リ二備ニ降ルモノニ非ズ,又二備ニ
災スルモノニ非ズ,災ヲ来タセシモノアルヲ傍観セシニ由ルナ
リ,我儕嘗テ高梁ニ游ヒ,途湛ヲ経,近傍ノ堤防ヲ見ルニ外形高カ
ラザルニ非ズ,堅カラザルニ非ズ,然ルニ眼ヲ凝ラシテ之ヲ静視
スレバ,高キモ雨ヲ俟テ崩レントシ,堅キモ風ヲ受ケテ壊レント
ス,我儕痛ク人民注意ノ厚カラザルニ迷ヒ,今初テ感覚ノ徒爾ナ
ラザルヲ悟レリ,況ヤ湛以南海ニ注ク迄高梁川ノ浚鑿アラザル
ニ於テヲヤ,亦以テ水災ノ非常ニ害ヲ貽セシヲ証スルニ足ル,若
シ往日之ヲ憂フルコトアラシメバ,何ゾ川辺人民ヲシテ空ク水中
ニ葬ムラルヽノ惨状ヲ演センヤ,噫亦哀矣哉,然リト雖トモ事已ニ
逝矣,今ヨリ以往官府冀クバ心ヲ此点ニ注キ,人民亦宜シク自治
ノ気力ヲ振作シ,災害ヲ未発ニ防禦スルコトヲ務メヨ,斉シク三千
五百万ノ同胞ナリ,斉ク日本帝国ノ人民ナリ,誰レカ之ヲ秦越視
スル者アラン,我儕深ク洪水ニ憂ヘアリ,敢テ此篇ヲ作ル,蓋シ亦
性情ノ感シテ已マザルモノアレバナリ

読み下し

水災は人事を尽くさざるに生ずる論

「人と生まれて婦人の身となるなかれ。百年の苦楽他人による」とは,これ白楽天が詠ぜし太行路中の名句なり。我儕(わがせい)頃日梅雨のために悩まされ,独り自ら幽窓の下に起臥し,薬爐吟硯もって鬱を遣る。すでに連旬仲夏の末に及び,連朝雨歇(や)まず。朝より夕に至り夜より晨(あした)に達す。琴筑檐(のき)を繞(めぐ)りて天色常に暗し。ついに七月一日において惨状を備中の中央賀陽・下道二郡に演じ,余波旭江両岸の村落に及ぶを致せり。これ実に輓近(ばんきん)の一大事にして我儕の酸鼻するに堪えざるものなり。また我儕をして白氏に倣ひ「人と生まれて小民の身となるなかれ。百年の窮通他人による」と歎ぜしむるに至れり。豈(あ)に痛哭もってこれを救済するの道を講ずるの時にあらずや。
ああ彼の小民果して何の罪ある。生をこの土に寄せしより夙夜(しゅくや)事業にこれ従い,あえて怠ることあることなし。月を観て出で星を戴いて帰る。風に雨にその労苦を厭わず。その酸辛を辞せず。もって僅かにその父母を養ひ,その妻子を育するもの蓋(けだ)し十の八九なり。不幸にして水火の災に逢遭(ほうそう)するや,依るに人なく托するに道なし。仁者のこれを救い慈人のこれを済(すく)うにあらざるよりは,さらに為すこと能わざるの徒なり。誰かその惨状を目撃して惻隠(そくいん)の情を発せざるものあらんや。ああ泣てこれを天に訴えんか,蒼々たるその天遼遠にして達すべからず。これを天の作せる蘗(はく)と謂わんか。天神は仁なり。空しく人をして窮途に泣かしむるものにあらず。ああ泣て之を地に訴えんか,渺々たるその地曠漠として達すべからず。これを地の作せる妖と謂わんか。地祇は慈なり。空しく民をして悲境に泣かしむるものにあらず。しかれば則ちこれを人事の尽くさざるに帰せざるを得ず。いやしくも人事を尽して天地の命に背くことあらば,これ時運の極する所,誰かまた怨むるものあらんや。
人生誰か生を好んで死を悪(にく)まざらん。人生誰か危を捨て安を取らざらん。これ天の賦与する性情にして皆同じ。また貴賤上下の殊あらず。また貧富智愚の異あらざるなり。もと大小強弱の別なし。義を守りて利を棄るは道のためなり。善を助けて悪を斥くるは愛のためなり。政府を設けこれが政度法令に服事するは,ただまさに寡少保護する能わざる者を将り,衆多保護することを得る者に托すにあり。しかりといえども人事の変は法律これを外に制し,道義これを内に治む。法律制し難きことあれば道義の力を藉(か)り,もってこれを治む。道義治め難きことあれば法律の力に依り,もってこれを制す。自然の変は自然の勢に発す。あらかじめ期すべからざるなり,これに備うるの方法,もとより敵国外患に向かいて海陸二軍を整うるが如くせざるを得ず。自然の変を防禦するの良策,ただ人民をしてその所を得,毫(ごう)も咨嗟怨憤(しさえんぷん)の声を発せざらしむるにあるのみ。その身都城に住し歌吹海に吟嘯する紳士その人は夢に民間の実況を観ず。春耕秋獲自然に成るものと確信し,さらに櫛風沐雨(しっぷうもくう)の辛苦を知らざるなり。ここにおいてや水火の災あるもこれを小事と看過し,窮を済い貧を恤(あわれ)むの情を発すること少なし。蓋し惻隠の情なきにあらず。これを目撃せざるの致す所なり。北条氏政をして武田晴信の笑う所とならしめしは,氏政その人の罪にあらず,氏政の地位これを知ること能わざらしむるの罪なり。ゆえに中央政府の感覚は地方政府の感覚に及ばず。地方政府の感覚また郡村の感覚に及ばず。これ人民の施政上に向かいて歓心を呈するに薄き情勢なり。これを行うに難しといえどもこれを難に置いて顧みざるは我儕の取らざる所なり。我儕いかんぞ官吏の尽力人民をして安処せしめんことを冀望(きぼう)するに切ならざるを得んや。
蓋し本年の洪水たる,実に輓近の大事なり。ために貴重の人命を損害し,ために貴重の家屋を流失し,ために貴重の物品を棄損せしは,決して小少にあらず。物品や購ふべし。家屋や営むべし。独り人命は得てこれを恢復(かいふく)すること能わざるなり。ただにこれのみに局せず。堤や破れ橋や落ち梁や沈む。その金円を費消せし,また決して小少にあらず。これ実に避くべからざるの災に似たり。しかれども我儕はこれを自然の災に帰せずして,これを人事の尽くさざるに帰せんと欲するなり。何ぞやもし平時他日不慮の災を慮り,河を通し堤を高うし,浅きはこれを浚鑿(しゅんさく)して深からしめ,脆きは修繕して堅からしめば,豈に輓近の惨状を見んや。梅天の霖雨は独り二備に降るものにあらず。また二備に災するものにあらず。災を来たせしものあるを傍観せしによるなり。我儕かつて高梁に遊び,途湛井を経,近傍の堤防を見るに外形高からざるにあらず。堅からざるにあらず。しかるに眼を凝らしてこれを静視すれば,高きも雨を俟(まち)て崩れんとし,堅きも風を受けて壊れんとす。我儕痛く人民注意の厚からざるに迷い,今初めて感覚の徒爾(とじ)ならざるを悟れり。いわんや湛井以南海に注ぐまで高梁川の浚鑿あらざるにおいてをや。またもって水災の非常に害を貽せしを証するに足る。もし往日これを憂ふることあらしめば,何ぞ川辺人民をして空しく水中に葬むらるるの惨状を演ぜんや。ああまた哀しいかな。しかりといえども事すでに逝けり。今より以往,官府冀(ねがわ)くば心をこの点に注ぎ,人民また宜しく自治の気力を振作し,災害を未発に防禦することを務めよ。斉(ひと)しく三千五百万の同胞なり。斉しく日本帝国の人民なり。誰かこれを秦越視する者あらん。我儕深く洪水に憂へあり,あえてこの篇を作る。蓋しまた性情の感じてやまざるものあればなり。

意訳

水災は人事を尽くさないために生じることを論じる

「女になんて生まれるものではない。人生の苦楽を他人に決められてしまう」とは,白楽天(中国の詩人白居易)が詠んだ「太行路」という詩のなかの名句である。私は近頃梅雨の長雨に悩まされ,独り自宅にいて,喫茶や詩作に憂さを晴らしていた。旧暦5月(新暦6月)の末になっても,毎日雨はやまず。朝から晩まで,夜から朝にまで及ぶ。軒の雨垂れが琴の音のように響き,天の色はいつも暗い。ついに7月1日,備中の中央部の賀陽郡・下道郡において水災の惨状をみることとなり,さらに旭川の両岸地域でも被害が発生した。これは実に近年の一大事であり,いたましさにたえない。私は白居易にならって「庶民になんて生まれるものではない。人生の浮き沈みを他人に決められてしまう」と嘆いてしまった。まさに痛哭の思いで,その救済の手段を講じなくてはならない。
彼ら庶民にいったい何の罪があるだろうか。この地上に生まれてこのかた朝から晩まで怠ることなく働き通し,風の日も雨の日も労苦をいとわず,辛酸に耐え,ようやく父母や妻子を養っている者がほとんどである。不幸にして水災や火災に逢うと,頼るべき人も手段もない。仁徳のある者や慈悲深い者がそれを救わなくては,どうすることもできない者である。その惨状を目撃して同情しない者はいないだろう。それを泣いて天に訴えても,天はあまりに遠くて届きはしない。それは天の与える苦しみであろうか。天の神は情け深いものであり,人を窮地に泣かせたりはしない。それを泣いて地に訴えても,地はあまりに広くて届きはしない。それは地の与える災いであろうか。地の神は慈しみ深いものであり,民を悲境に泣かせたりはしない。とすれば,災害は人事を尽くさないことによって起こると言わざるをえない。もしも人事を尽くしたうえで天地がそれに応えてくれなかったとすれば,それは運命がきわまったときであり,誰も怨みはしないだろう。
人は皆,死よりも生を,危険よりも安全を求める。それは天が与える性情であり,貴賤上下,貧富智愚,大小強弱などに関わりなく,皆同じである。義を守って利を棄てるのは道のためである。善を助けて悪を拒むのは愛のためである。政府を設けてその制度や法令に従うのは,比較的少数の保護を受ける必要のある人々の生活を,比較的多数の保護を与えることができる人々に保障させるためにほかならない。犯罪など人間の起こす変事は,法律によって外側から制し,道義によって内側から治め,その両者をうまく使って解決してゆく。自然災害は自然のなりゆきによって発生し,あらかじめ予測することができない。それに備えるには,敵国に対して軍備を整えておくようにせざるをえない。自然災害を防ぐ良策は,ひとえにどうすれば人民に安定した境遇を与え,彼らが怨みや嘆きや憤りの声をあげずに済むかを考えることに尽きる。都会に住んで遊んで暮らしているような紳士は民間の実況を見ることなく,農作物も自然にできるもののように思い,風雨に打たれて働く辛苦も知らない。したがって水災や火災が起こっても,それに関心を示さず,貧窮に苦しむ者を救済しようという思いをあまり抱かない。思うに,それは同情の念がないわけではなく,実情を目撃していないせいである。かつて戦国の世に北条氏政が武田信玄に世間知らずと笑われたのは,氏政本人の罪ではなく,彼が生まれつき高い地位にあったせいである。そのため国の中央政府の感覚では県などの地方政府の感覚を理解することができず,また地方政府の感覚では郡村の感覚を理解することができない。これでは人民は行政に対して感謝の念をもつことはないであろう。その状況を変えてゆくことは難しいことだが,だからといって今のまま放置しておいてはならないと私は思う。私は人民が安定した暮らしができるよう官吏が尽力することを切に希望する。
思うに本年の洪水は,実に近年の一大事である。そのためにどれほどの貴重な人命・家屋・物品が失われたことか。物品や家屋は再び作り直すこともできるが,人命はそれを回復することはできない。それだけではない。堤防や橋梁が破損した被害額も,どれほどにのぼったことか。これは実に避けがたい災難であったようにも思える。しかし,私はそれを自然のせいだけにするのはまちがいで,人事を尽くさなかったことによるものと考える。なぜなら,もし日頃から将来いつの日か思わぬ災害が起こること心配して,川筋をなめらかにし,堤防を高くし,浅くなった川底は浚渫して深くし,もろくなった堤防は修繕して丈夫にしておけば,このような惨状を見ることはなかったであろう。梅雨の長雨は備前・備中だけに降ったわけではないのに,そこに被害が集中したのは,災害の原因となるものを傍観し放置していたせいである。私はかつて高梁を訪れ,その道中に湛井を通りかかったとき,近くの堤防を見ると,一見高く丈夫そうに見えた。しかし眼を凝らしてよく見ると,雨風を受けて崩れかかっていた。そのことを人々が心配している様子もなかったので,私もさほど深く気にとめなかったが,今ようやくその危惧の正しかったことに気づいた。しかも湛井以南の海に注ぐまでの高梁川の浚渫もできていなかったのである。それも水災の被害が非常に大きかった原因である。もし早くからそれを憂慮して対策をしていれば,川辺村などで多くの人民が水にのまれて亡くなるという惨状も発生しなかったであろう。何と悲しいことか。しかしもはや取り返しはつかない。今後,官庁はこの点に意を注ぎ,人民もまた自治の気力を振るって,災害を未然に防ぐことに努めてほしい。皆等しく三千五百万の同胞であり,日本帝国の人民である。決して他人事であってはならない。私はこのたびの洪水を深く憂い,思い切ってこの文章を書いた。やむにやまれぬ思いに突き動かされたからである。