井上桂園は、明治36年に岡山県吉備郡薗村(現倉敷市真備町市場)に生まれ、薗小学校に入学した6歳から習字を学び、7歳のとき「中国民報社」(山陽新聞社の前身)の書初め紙上展で見事入選。
岡山県立矢掛中学校(現岡山県立矢掛高等学校)在学中、日下部鳴鶴先生の書に感動し、号を「桂園」と称した。「桂」は古代ギリシャの月桂冠、「園」は出身地の薗村にちなんで名付けられたといわれている。
その後、日下部鳴鶴門下の丹羽海鶴先生の門に入り、岡山師範学校入学の後は大原桂南先生の教えを受け、在学中に史上最年少で文検習字科に合格、以来中央の各種書道展で次々と最高賞を獲得するなど20歳代で中央書壇における若き実力者として確固たる地位を築いた。
また、昭和6年熊本師範学校教諭となり、昭和14年4月には広島高等師範学校の助教授となり、その年8月からは、文部省の委嘱により国定教科書の執筆に専念、さらに昭和26年からは戦後の検定教科書の執筆にあたる。
昭和24年から広島大学教授、昭和41年からは安田女子大学教授として数多くの人材を育て、日本書道教育研究会顧問、全国大学書道学会会長、日本書道教育学会名誉会長などの要職に就く。
平成9年1月に94歳で永眠。
真備町教育委員会(当時)では桂園の業績を末永く顕彰しようと、平成11年8月21日から9月26日までマービーふれあいセンターで、引き続き10月5日から10月14日まで岡山市新京橋の墨潮会館で、井上桂園遺作展を開催した。
また、平成12年度から、町内の小・中学生を対象とした井上桂園賞児童生徒書道展をマービーふれあいセンターで開催している。