資料3 寅十二月改元安政元嘉永七寅歳 文談明暮噺
資料3 「寅十二月改元安政元嘉永七寅歳 文談明暮噺」(倉敷市所蔵大江三宅家文書)

翻刻
(前略)
一 十一月四日五ツ時下リ、数十年已来無之長地震ニ而
同日夜も弐、三度少々宛地震有之
(中略)
一 同日晩七ツ時下リ、大地震長キ事昨朝ニ倍シ、村内
日さし等落、ねりへい崩、土蔵壁割れ候場所も諸所ニ
有之、乍併恵左衛門宅抔ニ而ハ左迄も無之様相考在候処、
大江前野辺等五反地通りハ勿論、古屋地通リ、中すか横
土手通リ一円田畑地割れ裂ケ黒泥ヲ吹出し候所ニ穴
出来、夫ゟ水黒土を吹上ケ候事壱、弐尺も吹上ケ候事故、
五反地辺ハ畑面田ノ如ク相成候旨申ニ付大ニ驚キ直様
右等之場所へこハごハながら馳付ケ見廻リ候所、麦を埋候
場所数多有之、表堤茂浦山川等惣して五、七間或ハ十間
位われ、地神塚ゟ下モ大川表砂場ノ所一円ニ水ニ相成、
俄ニ大川水一尺計も相増、暮ニ及候ニ付帰宅いたし候得共
始終地震ニ而夜分又両度大ゆり(中略)
扨夫ゟ夜中数十度震リ、六日朝迄
少々宛ハ度々之事ニ御座候、本家六郎右衛門宅抔ニ而ハ、三日四日ノ間ニ
弐百度余もゆり候様申候得共、恵左衛門宅ニ而ハ左様ニもと思不申候、
誠以前代未聞恐敷事ニ御座候、追々承リ候所、福田新田
抔ハ勿論之事堤裂ケ地面ゟ水出、三間川を上へ水流れ候故、
多田屋開堤破損抔と申触候得共、全吹出し之地水ニ而
右之通ニ御座候、亀島新水門上手堤われ、鶴新田水門
損し有之候由申候得共、為差義ニも無之、先ツ連島内ハ家
土蔵等損ハ外村々ゟハ稀成趣ニ相聞無難之事ニ而御座候、
惣而東西大変之由、上方大坂抔ハ当地ゟ一、二日も地震
早ク、大坂市中三分一も家居崩れ候様風聞有之候へ共、未
聢与申沙汰相分リ不申候
(後略)
読み下し
(前略)
一 十一月四日五ツ時下り、数十年以来これなき長地震にて同日夜も二、三度少々ずつ地震これあり
(中略)
一 同日晩七ツ時下り、大地震長きこと昨朝に倍し、村内ひさしなど落ち、ねりへい崩れ、土蔵壁割れ候(そうろう)場所も諸所にこれあり、しかしながら恵左衛門宅などにてはさまでもこれなきよう相考えおり候ところ、大江前野辺など五反地通りはもちろん、古屋地通り、中須賀横土手通り一円田畑地割れ裂け、黒泥を吹出し候ところに穴でき、それより水黒土を吹上げ候こと、一、二尺も吹上げ候ことゆえ、五反地辺は畑面田のごとく相成り候旨申すにつき大いに驚き、すぐさま右などの場所へこわごわながら駆けつけ見廻り候ところ、麦を埋め候場所数多これあり、表堤茂浦山川などそうじて五、七間あるいは十間位われ、地神塚より下も、大川表砂場のところ一円に水に相成り、にわかに大川水一尺ばかりも相増し、暮におよび候につき帰宅いたし候えども始終地震にて、夜分また両度大ゆり(中略)さて、それより夜中数十度震り、六日朝まで少々ずつはたびたびのことに御座候、本家六郎右衛門宅などにては、三日四日の間に二百度余もゆり候よう申し候えども、恵左衛門宅にてはさようにもと思い申さず候、誠にもって前代未聞恐ろしき事に御座候、おいおい承り候ところ、福田新田などはもちろんのこと、堤裂け地面より水出、三間川を上へ水流れ候ゆえ、多田屋開堤破損などと申し触れ候えども、全く吹出しの地水にて右の通りに御座候、亀島新水門上手堤われ、鶴新田水門損しこれあり候由申し候えども、さしたる義にもこれなく、まづ連島内は家・土蔵など損しは外村々よりはまれ成る趣に相聞こえ、無難のことにて御座候、すべて東西大変の由、上方大坂などは当地より一、二日も地震早く、大坂市中三分一も家居崩れ候よう風聞これあり候えども、いまだしかと申す沙汰相分り申さず候
(後略)
意訳
一 11月4日五ツ時下リ(午前9時頃)、数十年以来なかった長い地震が起こり同日夜も2、3度少々ずつ地震があった。
(中略)
一 同日(11月5日)晩七ツ時下リ(午後5時頃)に大地震があり、その長いことは昨日の朝の倍であった。村内ひさしなどが落ち、ねり塀は崩れ、土蔵の壁が割れた場所が諸所にある。しかし恵左衛門宅(自宅)などはそれ程でもないと思っていたところ、大江前の野辺など五反地通りはもちろん、古屋地通り、中須賀横土手通りは一円田畑の地面が割れ裂け、黒泥を吹出したところに穴ができ、そこから水や黒土を1、2尺(約30~60センチメートル)も吹き上げ、五反地辺は畑面が田のようになったと言って来たので大いに驚き、すぐさま前記の場所などへこわごわ駆けつけ見廻ったところ、麦畑が水にうずまった場所が数多あり、表堤茂浦山川など、そうじて5、7間(約9~13メートル)、あるいは10間(約18メートル)位割れ、地神塚より下の大川表砂場のところは一円に水びたしになり、にわかに大川の水は1尺ばかりも増していた。暮になったので帰宅したが始終地震があり、夜にはまた2度大きく揺れた。(中略)それから夜中数十度揺れ、6日の朝まで少々の揺れはたびたびであった。本家の六郎右衛門宅などは、3・4日の間に200回あまりも揺れたというが、恵左衛門宅(自宅)ではそれ程でもなかった。誠に前代未聞の恐ろしい事である。おいおい承れば、福田新田などはもちろん、堤が裂け地面より水が出て、三間川を上へ水が流れたので多田屋開堤が破損したなどと伝えて来たが、これはすべて吹出しの地水でこのような状況になったのである。亀島新水門上手堤が割れ、鶴新田水門も破損したとのことだが、大したことはなく、まず連島内は家・土蔵などの損害は外の村々よりはまれなことに無難であった。あちこち大変な状況であるとのことで、上方大坂などは当地より1、2日も早く地震が起こり、大坂市中は3分1も家居が崩れたとの風聞であるが、いまだ確かな情報は得られていない。
(後略)
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