「当時は岡山の倉敷に住むことは思いもしていなかったけどね。」
玉島で生活するきっかけを聞くと、高橋さんは当時を振り返ってこう語ってくれました。
「友達に海辺に住みたいと相談したら、牛窓から寄島までいろいろ探してくれて。沙美に出会ったのはその時で、私の願いとご縁があったことかな。10年前に倉敷芸術科学大学(※以下、芸大)が開校するときに、担当者がローマまで教授のお誘いに来てくれたんだ。」
芸大での教授就任が、玉島で暮らす「縁」になった高橋さんですが、すぐに玉島に定住されることにならなかったようです。世界でご活躍されていた高橋さんが、日本に帰ってくる決め手は何だったのでしょうか。
「芸大に1年のうち3分の1の時間をとり、10年間ローマ、岡山を往復していてね。そのうちに知り合いができ,友人ができた。わがままを言っていたけれど、みな倉敷の人が受け入れてくれたのがありがたかったね。そうして付き合いが続くうち、倉敷に里心が生まれた。あとは、年齢的にとは言いたくないんだけど、だんだんとエネルギーが低下してきたこともあってね。作家として制作三昧にふけるには、ローマのアトリエの方がいいんだけど、イタリア人とやりあっていく煩わしさ、もどかしさを感じるようになったんだ。それと同時に、日本に通っている間、若い人たちに対して、このままではいけないという思いをずっと抱いていた。ローマで、製作三昧でいるか、日本に帰って、どうしようもなく沈みかけていく日本の若者を1人でも多く引っ張り上げて尻をたたいてやるか。どっちに意義があるか、選択に悩んだよ。悩んだ末に、余生を日本にささげて、若者をひっぱりあげる方向にいこうと決めた。それで、日本に帰ってきたんだ。」
イタリアでの生活、日本への帰還。長年の海外経験から改めて日本を眺めてみると、まちなみの中にも、考え方の違いが見えてくるそうです。
「もちろん文化の質が違うのだが、ヨーロッパのほうが昔からの伝統・文化が現在の生活に反映されていると思う。どこを見ても絵になっていると感じるのは、街並みに文化が反映されているから。ヨーロッパに比べると、現在の日本は、いい文化はあるけれど活かしきれていないよね。日本のまちなみは、規制によってというところが大きい。ヨーロッパでは、この街は伝統的にこうだから、この建物はこの色で、という共通認識や古いまちなみを残して大事にする心がある。例えば高速道路を作るとするよね。日本ではそこに樹齢何百年という木があると切ってしまうが、ヨーロッパではそれを避けて計画を行う。つまり、自然を大切にする。我々の勝手で自然を壊してはいけないという伝統的な思考がある。」
独自の文化や歴史を活かそうとする共通認識をつくっていくことは容易にはできないことです。玉島が持っている独自文化、古いまちなみをどう活かしていくのか、皆で考えていく第一歩として私たちが「みなと玉島空間」を制作していることを伝えると、こう答えてくれました。
「玉島でもイタリアと同じように、玉島独自の文化や伝統を現在の生活に反映できるといいね。観光については、目玉はなにかあるのかな。高速道路北側に桃源郷があるよね。あの辺りは、本当にすばらしいところだと思う。あそこを桃源郷にして、桃祭りやキャンプ場の設置などしてみたらいいと思うね。他の団体もいろいろと頑張っているよね。若い世代と、おかみさん会などの頑張っている団体が連携していけば、いろいろなことが成せるのではないかな。」
本当に、玉島にはご活躍されている団体や個人の方がたくさんいます。そういった皆さんが繋がっていける場所として『みなと玉島空間』が発展していけばいいと思います。次に高橋さんご自身のご活動についても聞いてみました。
「最近は沙美海岸の駐車場で岡山県下小中学生を集めて、大きなキャンパス(1.5m×1.5m)に3~5人で1組のグループ制作を行っている。今年は35組180人集まって、父兄も入れると200人以上の人が集まった。実費は我々が払っているけれど、子どもたちは集まってくれるだけでいいよね。地域の人にもバックアップしてもらいながら、みんなに声掛けてこのようなイベントに参加してもらっている。人とのつながりを大事にしているね。」
人とのつながりといえば、高橋さんは、芸大の教授のみならず、自宅のアトリエにて、高橋教室で育ったOBの方々と子ども絵画教室を主宰されています。普段子どもに指導していくなかで、何を心がけているのでしょうか。
「今教えている学生について言うと、芸術大学では芸術家だけが育つわけではない。ほとんどの学生は一般企業に就職していく。だから、芸術家を育てるにはこうとか、アートがこうだからという指導はしていない。私は学生に、せっかくクリエイティブな大学で勉強したのだから、その精神を忘れるなよと言っている。社会人になっても、たとえ、どこに行っても、今までなかった新しいクリエイティブな思考と精神で働けるよう、そして、君たちの世代で社会を変えていけよと、そのことはしょっちゅう言っているよ。また、アトリエの私の教室で育った生徒たちが親になって、子どもと共に親子で絵を描きに来ている。私の絵画教室は上手に描くための教室ではなくて、自分でいかに想像力を膨らませるかを大事にしているんだ。技術を磨くのではなく、個々に感性を伸ばし、創造するという、クリエイティブな精神を広げて欲しいと思っている。」
教育者としての一面をおうかがいすることができました。それでは、ご自身の創作活動についてはどうでしょうか。印象的な作品などについて聞いてみました。
「作品で印象に残っているものといえば、一番は31歳の時に安井記念賞をもらった『月の道』があるかな。ただ、その折々でいろいろな状況があって、そんな時に出来た作品には非常に思いがあるね。最近ではでっかいものが表現したいと思っている。宇宙全体の「気」ってわかるかな。人間のエネルギー(気)だね。観念的なんだけど、「気力」を表現してみたい。また、その「気」が、我々の生命すべてを優しく抱え込み、そこに人間の生活が存在している、というものを表現したい。最近、自分の構想したものが、構想したとおりに迷うことなくするするするとできたことがあった。それができた時は3日間ぐらい踊っていたい気分だったよ。」
また、作品が生まれてくる場所である沙美の魅力については、
「(窓の外を指して)それはね、やっぱりこの広がりだよ、この広さ。この自然をうまく抱え込む展望。この風景は人の心を広くさせると思うよ。」
と笑顔で語ってくれました。
最後に、その玉島がもっと元気になるにはどうしたらいいと思いますか、と質問しました。
「沙美は玉島の誇る景勝地だと思う。ここはもともと海水浴場のはず。たとえば、ローマやベニス(ベネチア)でもそうだが、もっとモダンな風景にかえていったらどうかなあ。あるいは、ビーチにパラソルを立ち並べてみるのも良いのでは。そうすれば、沙美の海水浴場もモダンになり、来る人も代わってくるのではないのかな。沙美だけでなく、玉島全体のいいところを若い人や元気のある人でもっと磨いていって欲しいと思います。」
ありがとうございました。次回は高橋さんからご紹介いただいた、『玉島おかみさん会』の浅原さん、根本さんです。
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