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モンゴルレポートVol.4

モンゴルレポートVol.4

モンゴルレポート タイトル



JICAシニア海外ボランティアとして、モンゴル農協の組織経営・運営を指導している西進(にし すすむ)さんのレポートをお届けします。第4弾はモンゴル西部で実施された研修にまつわる走行距離3500kmにわたる随伴記です。

活動先(全国モンゴル農業協同組合=NAMAC)で、2011年6月27日から7月9日まで、モンゴルの西部にあるOBUSU県を中心に研修があり、同行させていただきました。その時の感想を報告させていただきます。

計画は、1か月ほど前から組まれました。お聞きすると、毎年NAMACでは、数県の農協を、研修や実態調査・交流を兼ねて、夏に訪問しているそうです。今年は、モンゴルの最も西から2番目の県、OBUSU県に行くことになりました。「西も、研修に参加するか?今年は特に遠いが。」との話があったとき、躊躇なく、「行かせて下さい」と返事をしました。なぜなら、配属されて8か月余りになりますが、実際の農協を見学したことはまだありませんでしたので。(2月にORUHON県とHENTII県の研修に同行させてもらいましたが、その時はどこも雪で覆われていて、放牧や農業の実際を見ることはありませんでした。座学研修でした)。スライドで見たり、NAMACに来られた農協の人からはいろいろお聞きしていました。NAMACがある首都ウランバートルには、単位農協はないそうです。そういうわけでかねてから実際の農協・農業(牧畜)の現場を見たいと思っていたので、チャンスです、「ぜひお願いします」とこちらからも要請しました。でも、スタッフは、「全部モンゴルの食事だけど、大丈夫か?寝るところはゲルやキャンプになるけど。道も舗装されていなくて、でこぼこ道だけど大丈夫か?」などかなり念入りに意思を確認されました。そう厳密に聞かれると、絶対自信があるわけではないですが、一人で行くのではなく、NAMACのスタッフ7~8人と一緒なので、なんとかなるでしょうし,それよりもこれは、モンゴルの農協・農業(放牧)を実際の目で見るいい機会であるとともに、モンゴルの田舎を体験できるチャンスなので、自分からも参加させていただきたい、とお願いしました。参加が了承された後、スタッフからは、「6月・7月と言ってもモンゴルの夜・朝は寒いので、暖かい服装を十分準備しなさい、薬も。食事は日本食も持って行ったほうがいいよ、雨が降るから傘も、それにテントも買わないといけない」と、いろいろ心配やらアドバイスをしてくれました。研修に行くのにテントに泊まる?と思いましたが、一人用のテントを買いました。(テントに泊まるような研修、果たしてJICAの申請通るかな?と少々心配でしたが。)冬用の寝袋・セーター・ラクダのももしき、薬、カップラーメン等々を準備しました。

出発の前日からハプニングです。モンゴルでは今ガソリンが不足している、特に西部地方では手に入らない、したがって、当初予定していた2台の車(ガソリン車とディーゼル車各1台のいずれもLクル-ザー)で行くのはやめ、ディーゼル燃料は何とかかき集めることができる見通しがついたので、ディーゼル車1台にしました。したがって、参加者も半分に減らされます。西はどうする?と電話がありました。皆、事務所に急遽集まって善後策を練りました。

いろいろ検討しましたが、参加者は、私も含めて4人(運転手も含む)に半減。当初、私は研修で、日本の農協を紹介する予定でしたが、通訳が行かなくなったため、それはキャンセル。ルートも、当初はモンゴルの北ルートを通る予定が、ガソリンの入手が困難なため、南ルートに。北ルートは、結構山岳が多いそうです。南ルートはそれに比べれば平原であること、道路も北よりはしっかりしている、それに南部ならディーゼルエンジン油なら知り合いを通じて何とか入手できるとのこと。私の報告がなくなったので、研修の意義からいうと私が参加するより他の人が行った方がいいのでは、というと、「西は参加してモンゴルの田舎を見なさい」と勧められたので、若干不安はありましたが、ありがたくその言を頂いて参加させていただくことにしました。それにしても、モンゴルでは、地方で研修等するのもなかなか大変なことを出発前から実感させられました。飛行機はありますが、予算の関係で難しい。汽車はロシアからモンゴル・ウランバートルを通って中国に縦断する路線はありますが、東西の路線はありません。日本の交通インフラの良さを改めて感じました。
 

オブス県等研修地図
オブス県等研修地図



OBURUHANGAI県への道
OBURUHANGAI県への道

6月27日(月曜日)朝6時半出発。これもモンゴルらしい。モンゴル人は、旅とか、長期の出張とかは、月曜日の朝早く出発する、というゲンを担ぐそうです。

TOB県OBURUHANGAI県へと車は快調に走らせるも、途中から道路はアスファルトからでこぼこ道へ。そのうちに道路というよりは草原に。どこまで走っても平原、また平原。

ようやくOBURUHANGAI県の県庁舎の敷地内にあるNAMACの支部を訪問。ちょっと古い建物で、スタッフ(1名と思われました)と懇談。その建物の別の部屋にONIG URAN GOYOL農協があり、見学。小さな部屋で、羊毛から、毛糸を作り、モンゴル式の靴や土産用の小さなゲルなどを作っていました。

 

ONIG
ONIG URAN GOYOL農協

農協というよりは個人経営・手工業という感じでした。また限りなく車を走らせて、夕方BAYANKHONGOP県の県庁所在地BAYANKHONGOP市のはずれのホテルに到着。ここはスタッフMさん(男性38歳)のお姉さんが経営するホテルだそうです。1階のカラオケ、結構にぎやかに聞こえましたが、そのうちに止む。ベッドに眠れてまずはほっとしました。

 

6月28日(火曜日) Mさんの生まれ故郷BAYANKHONGOP県BUUTSAGN村と、彼が学んだ(中)学校を訪問です。Mさんの生まれ故郷は、幹線道路からかなり入ったところにありました。まずMさんの2番目のお姉さんのゲル、次に一番上のお姉さん、3番目のお姉さんのゲルの順に3家族を訪問。それぞれ、小高い丘などを挟んで3~4Kmくらいづつ離れて住んでおられました。各ゲルを訪問すると、必ずアルヒで歓待されます。アルコール度約39度。おちょこ?に入れて出されます。本来は、全部飲み干すのが礼儀でしょうが、私には強すぎます。はじめに薬指?でちょっと濡らし、山と天とに感謝して、はじきます。次に自分の額に当てたのちに飲みます。次は「嗅ぎ煙草」の交換です。これはゲルだけでなく、お祝いの場所や久しぶりに会ったときなどの儀式のようです。2番目のお姉さんのゲルに行ったとき、ちょうど山羊の乳しぼりを始めるところでした。70~80頭はいたでしょうか?20~30頭ずつ首をお互いにつないで動けないよう一群にしてしぼっていました。その集める作業が大変なようでした。一番上のお姉さんのゲルでは、羊の毛を刈っていました。大きなハサミで、チョキチョキ。ちょっと体験させてもらいましたが、なかなかうまく切れません。あんまり短く切ると羊の肌を傷つけるようですし、長く切ると羊毛を残してしまいそうで。近くには井戸があり、時々水をくみ上げて、樋に流すと、羊や馬が寄ってきて飲みます。どこのゲルにも必ず、モンゴル犬(真っ黒で毛がふさふさしている)が数頭います。知らない人が行くと、大声で吠えるので怖いです。が、飼い主がなだめて、訪問者がいったんゲルの中に入ると、犬もわかるのでしょうか、おとなしくなります。牧畜をしていますので、ゲルの周りは、どこでも羊や牛、馬の糞があたり構わず散らかっています。モンゴルはとても乾燥していますので、あまり臭いはしません。ゲルは必ず南向きに入口を作るそうです。ゲルによって多少違うのでしょうが、だいたい半径3~4mくらいの円形です。基本的にはこの中にすべての生活用品があるわけです。そういった外的制約と、移動することがあるため、ゲルの人はあまりモノを所有するということが少ないようです。でも最近は、たいがいのゲルにテレビがあり、さらにはオートバイがあり、中には車も所有する人もいるようです。困るのはトイレ。モンゴルの人曰く「モンゴルは、どこでもトイレです。好きなところでどうぞ」と言われました。そうは言ってもなかなか最初は抵抗がありました。が、郷に入らば郷に従え、そのうちに慣れました。

Mさんのお姉さんのゲル
Mさんのお姉さんのゲル
羊の毛刈り体験
羊の毛刈り体験
車やオートバイのあるゲル
車やオートバイのあるゲル

 

Mさんの(中)学校は、生まれたところから約180km離れたBUUTSAGAN村にあります。事前に連絡されていたのでしょう、学校に着くと、同級生が7~8人集まってきてくれて、懐かしそうに話をしていました。当時Mさんを教えられたのは女性の先生で、今は校長先生をされているようです。今は夏休みで生徒はいません。校庭で数人バスケットボールをしていました。ちょっと離れた所に寄宿舎があり、そこに宿泊させていただきました。下二人、上二人の2段ベッドが二つの8人部屋。学校から遠いゲルに住んでいる小学生や中学生のために、冬の間はこういった寄宿舎に泊まるそうです。小学校と言えば、6歳くらいから12歳くらい。そういう小さな子どもが、冬期間、両親などを離れ、寄宿舎生活をすることを思うと、ちょっとかわいそうな気持ちになりました。

真ん中の上半身裸がMさん
真ん中の上半身裸がMさん

6月29日(水曜日)昼ごろ出発です。ところが、大勢(15~16人)の人たちが、車やバイクで村のはずれの峠まで見送ってくれました。その峠で、しばし別れの歓談と宴。Mさん、とても旧友と別れがたいようでした。別れた後、車の中で、しばらく嗚咽が止まりませんでした。

延々と平原がつづく
延々と平原がつづく

また延々と平原を走り、夕方GOBIALUTAI県に入り、ここでもホテルに泊ることができてほっとしました。農協の人と懇談しました。聞くと、この県庁所在地(ALTAI)から、UB(ウランバートル)までは、約1,000Km。マイクロバスが定期で走っているそうです。料金は片道50,000Tg(約3,400円)。定員は12名。なんと昼夜ぶっとうしで走り、およそ24時間でUBに着くそうです。運転手が二人いて交替で運転。途中トイレ休憩・食事休憩をとりながら。あの、道がほとんどないような草原を夜走るってどんな感じなのか、でこぼこな道を。飛行機もあって料金は170,000Tg(約11,400円)

6月30日(木曜日)午前中休養。午後、GOBIALUTAI県の農協関係者5名が車1台で合流し、一緒にOBUSU県を目指し出発しました。HOBUDU県に入り、しばらく走行すると、道がなく、草原を走る。モンゴルの人は、特に田舎の人は誰でもGPS(位置測定装置)を頭の中に持っているそうで、今どちらの方角にむけて走っているのかわかる、と自慢げに話します。遠くに見えるアルタイ山脈には雪があります。聖なる山と、皆あがめているそうです。車の中から合掌。

HOBUDU県
HOBUDU県
後ろにアルタイ山脈が雪を頂いて見える
後ろにアルタイ山脈が雪を頂いて見える

 

さすがのモンゴルも夜9時くらいになると薄暗くなってきます。でもまだ今日の宿まで着きそうもありません。そのうちあたりは完全に真っ暗に。この辺で私は少しエキサイトしてしまいました。というのも、先頭車の地元の車、全く後車のことを配慮せず、どんどん走って行ってしまい、真っ暗やみの中、完全に姿が見えなくなってしまいました。「どうして一緒に走らないのか。携帯電話でもっとゆっくり後続車と一緒に走るよう、お願いして下さい。こんな真っ暗なところで万一方向を見失ったらどうするのか。」といっても、「No problem」というだけで、運転手も同乗者も皆平気です。むしろ、皆、なんで西がそんなに気にするのか、というような顔をしています。(その後他のときにもこういうことを経験しました。数台の車で同じ所に行くのですが、それぞれ勝手に走るのです。)もしここで遭難でもしたらJICAやいろんな人に迷惑がかかるなあ、と一瞬そんなことが頭の片隅をよぎりました。零時半ごろ、やっととあるゲルに2台とも到着です。もう家主は寝ておられたようですが、起こして今晩の夕食と寝るところをお願いしていました。知り合いなのかはわかりませんでした。家主もこんな真夜中にきた10人ぐらいの訪問客を別段いやな顔もせず、接待されました。ゴリルテイシル(モンゴルうどん?と干し肉が入った丼)とスーテイツアイがとてもおいしかったです。1つのゲルに約10人、みな雑魚寝です。

7月1日(金曜日)朝6時起床。スーテイツアイを飲んですぐ出発。昨晩あんなに遅く着いて、今朝はこんなに早く出発するのだったら、どうして昨日午後出発したのか?もっと早く出発しておけば、もっとゆとりがもてたのに。どうしても午後出発しないといけないことでもあったのかな?それとも、よその家に、夜遅く訪問しても何ら違和感がないのがモンゴル式なのかな、との感想でした。また延々と草原を走り、ようやく目的のOBUSU県に入りました。昼ごろHIARUGAS湖に到着。HIARUGAS湖は塩湖だそうです。舐めてみたら確かに、かすかにしょっぱかったです。モンゴルには結構塩湖があります。ここでマイクロバス2台で参加した、近くの県の農協の方たちと合流。まずはこの湖で水泳を楽しむのだそうです。え、海水パンツ持ってきてない、そんなこと聞いてない。でも男性はみなパンツで、合流した近県の農協の女性はちゃんと海水着を持ってきていました。なるほど、単に研修するだけでなく、たまには水泳を楽しむのでしょうか。水はきれいでとても広いのです。が、どうしてか、あまり遊びに来ている人はいません。私たち農協の関係者30~40人と、他はわずか。貸切り状態です。面白いことに、このとき女性陣と男性陣は少し離れてそれぞれ泳ぎました。恥ずかしいのでしょうか?普段UBではあんなに露出しているのに。休憩するところもお互いに少し離れて。泳ぐというよりは水遊びですね。クロール・平泳ぎなどで泳ぐ人はいません。バチャバチャするだけでした。でも皆とても楽しそうで生き生きしていました。水深はかなり遠くまで浅かったです。水温もそんなに冷たくはなかったです。2~3時間湖でリラックスして、出発。
 

ヒャルガス湖
ヒャルガス湖
水遊び
水遊び

 

これからは4台。このときも連なって走ることはなく、それぞれ勝手に走行。また延々と草原。多少スロープになっている高原などをとにかく走る。そのうち暗くなってきました。ここでもまた時間管理のことが頭にもたがってきました。どのくらいあと距離があるか、どのくらい時間がかかるか、ある程度考えて水泳(休養)を切り上げるべきではなかったか、と。かなりうす暗くなったころ、川の橋のところまで、地元のURAN ZURBAS農協の方が、車3台で迎えに来てくれていました。ありがたい。ところが、迎えに来てくれているので、宿舎にすぐ着くかと思いきや、着いたのはなんと夜の10時。こんなに遅いのに、地元の方(農協の方)は、食事の準備をかいがいしくしていただきました。大変お世話になりました。遅くに着いてすいませんでした。

7月2日(土曜日)朝6時起床。今日は国際協同組合デー。ここOBUSU県の首都ULAANGOMUでも催しが行われるので、県庁前広場へ向け出発。9時から県知事も参加してセレモニーが開催されました。知事とNAMAC会長の挨拶、関係者の表彰、その後小学生・中学生のパレードなどが行われました。

国際協同組合デー
国際協同組合デー
右から2人目が知事・真中が農協会長
右から2人目が知事・真中が農協会長

 

次は農協の見学です。郊外に移動。チャツラガンという実を作っているHET  TSAKh農協。実は瓶詰にして食べたり、食用の油や、化粧品になるそうです。苗木を植えてから、実がなるまでにはおおよそ5年くらいかかるそうです。組合員は16名。チャツラガンはモンゴルの人ならだれでも知っている、いわゆる健康食品のような果物(小さな実)です。この農協では、2年前の収穫量は10t、昨年は15t、今年は20tの収穫を見込んでいるそうです。OBUSU県のチャツラガンの品質がモンゴルで一番いいのだそうです。結構、大規模に経営している感じでした。しかし、この農場まで至る道路が大変でした。アスファルトはもちろんなし。かなり起伏の激しい農道?をくねくね通ります。おまけに、農場近くには川があり、見学の車はそこまで。あとは歩いて農場に。生産物の運搬はどうするのか?(お聞きするのを忘れてしまいました)

HET 
HET  TSAKh農協
チャツラガンの実・熟れたら赤くなる
チャツラガンの実・熟れたら赤くなる

 

ULAANGOMU市街にもどって、今度は協同組合センタービルを見学。これも少し古いビルで、中にNAMACの支部と研修室やいくつかの一般のお店も入っていました。

その後、OBUSU県庁に戻って、会議室でNAMACによる研修。50~60人位の参加者。みな真剣に聞いていました。19時終了。懇親会後、また昨日と同じURAN ZURBAS農協に宿泊の世話になりました。

7月3日(日曜日)午前中、お世話になっているURAN ZURBAS農協の農場を見学。宿泊所のすぐ近くにビニールハウス4棟、水も引いている。チャツラガンの苗などを育成。この農協も、外部との道路があるようなないような。生産物をどのように外部(市場などに)に搬送するのか?

チャツラガンの幼木
チャツラガンの幼木
URAN
URAN ZURBAS農協

 

午後は、全員で近くのOBUSU湖で交流会。湖の縁で、優秀な農協の発表と表彰。その後懇親会。出身県ごとに歌。およそ300人位?でしょうか。アルヒやお菓子などが振舞われ、羊3頭が肉になりました。ホルホグ(肉を焼いた石で料理したもの)がおいしかったです。歌が終わると、三々五々好きなことをします。バレーボール、ダンス、水泳、アルヒを飲む人。OBUSU湖もかなり遠浅でした。ここも塩湖。

後ろにウブス湖が見える
後ろにウブス湖が見える
懇親会
懇親会

 

近県の農協の人たちとはこれでお別れ。
宿泊は、再度同じURAN ZURBAS農協の宿泊施設。

7月4日(月曜日)9時頃起床。朝食後、大変お世話になったURAN ZURBAS農協とお別れです。出発間際にMさんがお経を唱えました。実はMさん、仏教系の大学を卒業され、お坊さんの資格?もあるようです。言葉はわかりませんが、みな神妙に両手を合わせ、目をつむって合掌。

北東へ向かう
北東へ向かう

10時頃出発。進路は郊外を北東にとり、新空港の近くを通ってロシア国境の近くまで行き、そこからかなり高い山岳地帯を西南に。そこの高地で、なんと7月2日の協同組合デーであいさつされた知事らと再開。村の人たち(村の幹部?)20人くらいと一緒に交歓。なんでも標高は2300mくらいだそうです。わずかでしたが、みぞれが舞ったのにはびっくり。あわてて持って来た厚い服を着込みました。そこの高地にもゲルが点在していました。一軒のゲルに招待され、昼食を頂きました。見ると、ゲルの隅に解体された羊が半分ほど残っていました。目の前の熱々に煮えたぎった鍋の肉をふるまっていただきました。ここでもアルヒ。知事と別れ、あとはLクルーザーで運転手のGPSを頼りに、まさに山岳地帯の悪路を一路HOBUDU県に戻るために走りました。近くの山々には雪が残っています。とても神々しく、奇麗でした。HOBUDU県の県庁所在地HOBUDU市のホテルに着いたのは夜中の11時。ドライバーはさぞかし疲れたでしょう。乗っている我々でさえとても疲れているのですから。NAMACに専門の運転手がいることの理由が分かったような気がします。

7月5日(火曜日)、今日は近郊のURU ZIMUSU農協を見学です。初めに、地元の農協の人が郊外の城壁の跡を案内してくれました。高さ1~2mくらいの崩れた土塀だけが200m×50mくらいの面積で残っていました。聞くと、これは昔,中国(清?)がモンゴルを約200年間支配していた時の中国の行政庁舎があったところ、と教えてくれました。今は、崩れた城壁だけがその痕跡をとどめていました。次は近くにあるBARUUN  BUSII SHASHIN SOYOLIIN TYU寺を案内していただきました。こちらは結構新しいラマ教のお寺。周りを回廊で囲ってありました。その後、目的のURU ZIMUSU農協見学。ここもチャツラガンや果物を栽培していました。ビニールハウスでは、二人の農民が15cmくらいに切ったチャツラガンの幼木を育苗床に植えているところでした。この農協は女性が組合長のようです。地面を掘って階段を作り、農産物の地下貯蔵庫もありました。事務所にはたくさんの表彰状や徽章が壁一面に飾られていました。事務所の前にあり歓待を受けたゲルは、なんと白い土塀(または、コンクリートか?)でできていました。ふつうは布ですが。まだ新しい感じでした。

これで研修は基本的に終了。NAMAC会長は飛行機でウランバートルへお帰りです。我々運転手を含めた4人はLクルーザーでウランバートルへ向けて出発。来た道を戻ります。ホテルやゲルで宿泊しながら延々と平原を戻りました。ウランバートルの自分のアパートに着いたのは7月9日(土曜日)の9時頃。さすがに少々疲れました。旅の途中でモンゴルの同僚はよく「チー、ヤダルチノー?(疲れたか?)」と聞きます。多少疲れていても、「ズゲール・ズゲール(大丈夫))と答えます。それがどうも礼儀のようです。




モンゴルで(牧畜)農協を作り発展させることは、いろいろな意味でなかなか簡単ではないな、というのが3500km走っての感想です。

まず交通インフラが未発達です。県と県を結ぶ幹線道路や、村と村を結ぶ生活道路などをできるだけ早く整備することが必要と思います。生産物や肥料などの流通、牧民同士の交流など、道路がないとスムーズにいきません。交通インフラを整備することは、経済はもとより農業だけに限らず、病気になったときの緊急輸送など生活にも必要と思います。途中いくつかの場所で道路建設工事を目撃したので、道路建設はそれなりに進んでいるようです。モンゴルはそもそも国土が広いので道路を整備するのは大変とは思いますが、道路は物や人間のスムーズな移動の前提です。全人口約270万人のうち大半が集中している(約115万人)ウランバートルの最大市場(マーケット)と適切な流通ができることが望ましいと思います。

今、農協をめぐる情勢に少しずつではあるが変化が起きているようです。国家政策として農協(牧業)を育てる方針が出されたそうです。この政策に基づいて、各県の農協やNAMAC(全国農協中央会)や農牧省、各県の農業担当部門などとの連携が、動き始めているようです。

現状は、野菜・果物などはロシア・中国・韓国などから盛んに輸入されているようですが、やはり食糧安保や農産物の安全性の確保などの点からは、できる限り自給率を高めることが必要と思います。

モンゴルでは土地は広大にあります。あとは農業(牧業)を意欲的にする人を育てること、モンゴルに合った農業(牧業)技術の向上普及や、農協などの組織をいかに拡大させていくかなどが課題と思われます。
確かに課題も大きいですが、課題が大きければそれだけやりがいも大きい分野と思います。

最後に、今回の研修に随行させていただいて、モンゴル農業(牧業)・農協の実態を垣間見ることができたことに対し、NAMACに感謝申し上げます。また、同行したスタッフの皆さんには、日本人だということで大変気を遣っていただいたことや、とりわけMさんには、親戚のゲルやホテル、かつて学んだ学校の寄宿舎に宿泊させていただいたりと、本当にお世話になりました。また、約3500kmを一人で無事運転していただいた運転手のBさん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。





(2011年7月29日 記)

<国際課より>
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