高射砲台跡
水溜公会堂の付近に高山へ上がる道があり、そこを登ると荒神社に辿り着きます。さらに道なりに進み、南へ針路を取ると鉄塔が見えてきます。その鉄塔を挟んで東西にこの砲台跡を見ることができます。砲台跡のほか弾薬庫の遺構もこの高山内に見ることができます。
終戦間近い昭和20年5月頃、高梁川河口西岸の玉島乙島水溜の高山山頂に、3基の砲台が構築されました。この砲台は、壁や床コンクリートで固められた直径9m、深さ約2mの円計状で、中には12.7センチ高角砲(敵飛行機を攻撃するための大砲)がそれぞれ配備されており、内壁には12箇所の砲側弾薬函が設けられていました。
この砲台は、水島航空機製作所の工場を防御するために設置されたもので、工場の取り巻くように連島の大平山、水島の亀島山・王島山の山頂や中畝のような平地にも同様の砲台が構築されましたが、その中では玉島砲台が最も重装備でした。昭和20年6月の水島空襲(注1)の時には、これらの砲台から反撃が行われましたが、十数機に損害を与えた程度(注2)で、撃墜することはできませんでした。
戦時中、玉島砲台に配備された部隊は水溜地区を中心に滞在しており、水溜や掘貫の民家では、兵隊に風呂を使用させるなどの協力を行いましたが、高山への立ち入りは軍事機密のため、昭和20年8月の終戦まで禁止されていました。
戦後、砲台は破壊されましたが、山頂に円形状の砲台側壁が2箇所と、北西側中腹に高さ・幅約3m、奥行き約10mのコンクリート製弾薬庫が残っています。また、当時は、敵機を捕捉するための電波探信機(レーダー)や、これらの施設に電力を供給するディーゼル発電機も設置されていましたが、今は竹藪の中にわずかに残る石垣などにその名残をとどめるだけです。
(注1)この場所は、山道の管理も不十分な上、野犬やマムシなどがいる可能性もあり大変危険な場所となっています。見学に行かれることはお勧めいたしませんのでよろしくお願いします。
(注2)昭和20年6月22日午前8時36分、米軍のB29爆撃機108機の大編隊が水島航空機製作所を爆撃し、工場は壊滅的な被害をうけた。
(注3)米軍の「作戦任務報告書(TACTICAL MISSION REPORT)」による。
設置物
看板
設置年月日
不明
所在
倉敷市玉島乙島(水溜公会堂近く)
設置者
倉敷市
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