16 原田 理絵さん

16 原田 理絵さん

16 原田 理絵 Rie Harada

昭和52年生まれ、鹿児島出身。原田理絵のフルート&ピアノ教室の先生。
学生時代は音楽活動に没頭し、 結婚を機に玉島在住となってからも、玉島名物「1,000人の大歌声喫茶」では、「いきいきキッズこてんぐ」の指揮者として壇上に立つなど、現在も幅広く音楽活動を続け、音楽を通じて学校関係の活動や地域の活動に積極的に参加するなど、充実した日々を送っている。

原田 浩治様から、フルート・ピアノ教室を営んでおられ、音楽に対してはすごく真面目でまっすぐな人であると伺っていますが、まず自己紹介をお願いします。

原田 理絵です。昭和52年に東京で生まれ、鹿児島で育ちました。旧作陽音楽大学音楽学部 音楽学科(フルート専攻)に入学したことがきっかけで、玉島にご縁が出来ました。玉島人の夫と結婚し(第15回 原田 浩治さん)、4人の子どもがいます。ところで、音楽に関して『は』ですか・・・。音楽に対して『も』になるように頑張ります(笑)

音楽の経歴を教えてください。

幼稚園の頃、先生がピアノを両手で弾く姿に感動し、4歳から某音楽教室に通い始めました。小学校に入学した時、吹奏楽部の練習風景に一目ぼれし、小学校3年生からフルートを始めました。小学校時代には、全日本吹奏楽コンクール鹿児島県大会の県代表として九州大会に出場し、九州代表として全日本小学校バンドフェスティバルに出場しました。
中学の頃に別の楽器を吹いてみたくなり、クラリネットに移ったりした時期もありますが、高校では再びフルートを選択して、全日本吹奏楽コンクール鹿児島県代表として、九州大会に連続出場しました。その後、、旧作陽音楽大学音楽学部(フルート専攻)を卒業し、現在はご縁があって、フルート&ピアノ教室を営んでいます。

玉島に来られて、どんな町だと思いましたか?

玉島に初めて来て思ったのは、『のどかな街だな』ということです。私が住んでいる玉島中央町のあたりは、港が栄えていた頃は大変にぎやかだったそうですね。現在は水辺に図書館があったり、広場があったりして・・・ガヤガヤしていないと言うか、とても心が落ち着きます。でも広場には子どもが集まって元気よく遊んでる。いいですね。
また、私が嫁いで来たばかりの頃は、私は相手のことを知らないのに、ミカド電機のお嫁さんということで、相手は私を知っているようなことがよくあり、人のつながりが強い町だな、と思いました。私が音楽教室を始めるきっかけも、玉島小学校の子どもさんから、『ピアノを教えて欲しい』とお誘いがあったからです。このような人と人とのつながりがあって、今の私がいるんだな、と感謝しています。これからも人同士の絆を大切にしたいです。

音楽を演奏する時って、どんな気持ちなんですか?

そうですね、音楽を奏でているときは、私はほっと一息つくといった感じですね。いろんなことを忘れて没頭できますから!聴き手がいる時は、聴き手の方のことを考えて演奏・・・できたら理想的ですね(笑)聴いた方が喜んでくれて、それが嬉しくてまた演奏するというふうに、よい連鎖が生まれますから。そこから、『私もやってみよう』という方が出て、少しずつでも音楽の輪が広がっていけばいいな、と思っています。

玉島が今より元気な町になるには、どうしたらいいと思いますか?

そうですね。『最近の子どもは・・・』というくだりをよく耳にしますよね?でも、要は親世代が一生懸命頑張れば、子どももついてくるのかな、って思うんです。まずは私たちくらいの大人が、どんな道であれ『一生懸命』頑張れば、子どもが元気になって、ひいては町全体の活性化につながるんじゃないかな、って思います。
私の場合は好きな分野が音楽なので、音楽面で一生懸命頑張りたいな、と思います。『いきいき子ども支援の会』で、1,000人の大歌声喫茶に出ようという声が上がり、今年の冬の歌声喫茶に、指揮者として出場しました。演奏し終わった時には、子ども達はとても充実した顔をしていました。実は、このメンバーでの演奏は1~2回目なんですが、こういう活動を通じて、少しでも皆さんのお手伝いが出来ればいいな、と考えています。

玉島のオススメスポットを教えてください。

水玉ブリッジ(玉島大橋)から瀬戸内海を眺めたときの風景が好きですね。晴れているときは遠くまで見渡せて、気分が晴れ晴れします。

最後に、次の方の紹介をお願いします。

株式会社のだ初の、野田 裕一朗さんです。主人と同級生で、自転車で日本横断をしたというパワフルな方です。

 

原田 理絵さん、ありがとうございました。

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