市の概要

市の概要

オーストリア共和国の首都ウィーンの西方約60キロに位置し、北緯48度付近にあって、人口約5万2千人、面積108平方キロ、ドナウ川とアルプス山麓の間の低地オーストリア地方にあるニーダーエステライヒ州(低地オーストリア州)の州都です。

夏と冬の気候差が大きく、昼と夜の気温差も大きい典型的な大陸性の気候といえます。

同市の歴史は大変古く、古代ローマ帝国の都市であり、8世紀にはアウグスティーノ修道院が建設され、宗教の街として栄えました。1690年以降有名な建築家ヤーコプ・プランタウアーと同時代の多くの建築家たちにより、典型的なバロック建築の街となりました。

1860年ころには国際鉄道網が建設され、その後建設された高速道路網とともに、同市はオーストリアの他の地方及びヨーロッパの各都市を結ぶ交通の重要な結節点として発展しました。
20世紀初頭から発展してきた機械、化学繊維、紙、オフィス家具などに代表される工業は、サンクトペルテン市の経済の重要な基盤となっています。

サンクトペルテン市には、多くの地方行政の中枢機関が集中するとともに、周辺地域50万人に医療を提供するための市立病院があり、幼児から高齢者まで広く行き届いた社会福祉が提供されています。
 

St Polten Scenery

人々のくらし

 
  Buildings

                                                                                      中段右:市庁舎
下段左:市庁舎前広場の                       下段右:シューベルト記念館
     三位一体の柱                             (黄色い建物の2階)

                                                                                  市の中心部には、バロック様式の町並みが残され、また、緑もあふれています。さまざまな文化やスポーツを楽しむ環境も整っています。

若者たちは、市内のレジャーセンターで、サッカー、バスケットボール、陸上競技、水泳、柔道、空手、合気道等を楽しんでいます。残念ながら日本で人気のある野球はあまり人気がありません。また、最近できた市内最大の映画館は、最新の映画を上映し、館内にはパブやクラブなどもあり、若者の人気を集めています。

一方、大人たちは、近くの田舎へ出掛け、山歩きをして自然を楽しむことが多いようです。サンクトペルテンの人はほとんど石造りの家に住んでいます。

オーストリアの料理は、種類に富みおいしいのですが、日本人より油気の多いものや肉を多く食べます。市内のレストランでは、ジャガイモの入ったミルクスープといった郷土料理はもちろん、寿司や中国料理など国際色豊かな料理も楽しむことができます。

 
Street Scene
左:ウィーナシュトラーセ(ショッピング道り)  右:ニーダーエステライヒ行政区


フェスティバルホール(ニーダーエステライヒ行政区)

 

  

   
ヘレンプラッツとドームプラッツで、毎週木曜日と日曜日に開かれる朝市の様子

紀行



左:ヘレンプラッツ(ヘレン広場)   右:ドームプラッツ(ドーム広場)

左:市庁舎前広場   右:ドーム(大聖堂)

●ヘレンプラッツ (上段左)
「領主の広場」を意味するこの名は、ウィーナーシュトラーセ12番地にあったヘレンハウス(領主館)に由来するものです。ここでは毎日市が開かれ、このため1990年ハンス・フライリンガー教授の制作した泉水でも「立ち話する婦人」がモチーフとなっています。南側には美しいバロックの家々が並び、西側のバーハウスには、曙の女神オーロラのレリーフ、聖ネポムクの像、入り口にある彫刻「樽の中のディオゲネス」などが見られます。

●ドームプラッツ (上段右)
この広場では毎週木曜と土曜に市場が開かれます。ドームは本来ロマネスク様式の礼拝堂だったもので、ヤーコプ・プランダウアーにより内部がバロックに改装されました。フレスコや絵画は、ダニエル・グラン、トーマス=フリードリヒ・ゲドン、バルトロメウス・アルトモンテ、アントニオ・ダッシ、トビアス・ポックなどの作品です。塔の高さは77m、その北側には17世紀後半に建てられたかつての修道院があります。ここに開設された修道院施設は、ニーダーエステライヒで最も古いものでした。

●イングリッシェス・フロイライン協会
女子教育施設として1706年に設立され、1767年と19世紀末に拡張されました。豪華なバロックの建物正面には天蓋のような門が付けられ、協会に関連する聖人像が見られます。附属教会にはパウル・トロガー、バルトロメウス・アルトモンテなどのフレスコに加え、ルーカス・クラナハの作とされるマリア像があります。学校からは多くの人材が輩出、詩人エンリカ=ハンデル・マツェッティやパウラ・フォン・プレラドヴィッチ(オーストリア国家の作詞者)も、ここで学びました。