昭和南海地震

昭和南海地震

昭和南海地震


昭和21年(1946)12月21日午前4時19分,和歌山県潮岬沖を地震源とするマグニチュード8.0の大地震が発生しました。昭和19年12月7日に三重県志摩半島沖を地震源として発生した東南海地震の2年後の発生でした。水平方向の揺れが数分続き,岡山県南部では震度4~6を観測しました。被害概要は,全国で死者・不明者約1500人,負傷者約2600人,家屋全壊約1万2千戸,家屋半壊約2万2千戸,岡山県で死者52人,負傷者149人,家屋全壊1200戸,家屋半壊2715戸でした。岡山県南部に被害をもたらした主要な要因は地震動に伴う土地の液状化であり,それに数分間続く強い揺れが加わって被害が発生しました。児島湾北岸地域で地盤沈下が大規模に発生し,倉敷市域でも連島町・玉島町・茶屋町など干拓地で多くの被害が出ました。
【参考文献:『昭和21年12月21日 南海道大地震調査概報 昭和22年5月1日 中央気象台』(国立国会図書館デジタルコレクション)。『岡山県南部における南海地震の記録―昭和南海地震・安政南海地震―』岡山県備前県民局,2007年】10)。
資料1 「自二十一年至二十二年 震災復興関係綴」 (連島出張所より移管文書42-828)) 昭和南海地震により大きな被害が発生した連島町の公文書です。地震による連島町の被害状況と復旧事業費,岡山県の震災応急対策の経過,岡山県震災対策本部の文書,都窪浅口地方事務所における震災復興協議会の文書など,昭和22年8月までの被害状況と対策に関する岡山県と連島町のやりとりの文書が綴られています。資材や薪炭緊急輸送,復興用木材移入,震災用物資配給など具体的な応急対策の状況が詳細に記述されています。
資料2 「昭和二十一年 役場日誌 連島町役場」 (旧連島町役場文書65-131-3)) 昭和21年の連島町役場の日記です。1日ごとに日直者・宿直者が天気,特記事項,自分の感想を記述しています。12月21日には,大きな地震があり鶴新田,特に岡崎地区の被害が甚大だったこと,翌22日には,災害対策臨時町会の開催と震災状況が記されており,その後も余震や震災に遭った家等への同情の記述が見られます。翌年の日記にも引き続いて地震の被害調査,岡山県復興委員会地元会合,震災用木材など復興に関する記述が見られます。
資料3 「倒壊した都窪郡庄村国民学校」(岡山地方気象台提供) 震災により学校も大きな被害を受けました。特に各地の国民学校の被害は甚大で,都窪郡庄村国民学校では2階建講堂の半分と宿直室その他附属建物2棟が倒壊し,大地震の恐怖を物語っています。【参考文献:『合同新聞』昭和21年12月23日】。